武蔵道場では、「態度教育」と「道徳教育」に力を入れています。 自ら考え行動できる力を育成するために、楽しみながら取り組め る仕組みを用意し、小さな成功体験をたくさん積めるように工夫 したカリキュラムを実施します。また、やり抜く力、自制心、逆 境に負けない力、創造力、コミュニケーション能力、などといっ た「非認知能力」が身に付けられるように、指導者自身も教育や 心理学などを日々学び続け、反省と向上を続けながら指導の質を 高く保てるように心がけています。自身を大切にしながら、周囲 の人や社会に目を向け、自立した社会貢献できる人材を育成する ことを最大の目標としています。



近年はスマートフォンをはじめテクノロジーが発達し、生活がどんどん便利で効率的になっています。 このこと自体はとても良いことだと思うのですが、溢れる情報を扱う人間の考え方や、個人と集団・社会との関わり方が今後はより重要になっていくと思います。

たとえば、SNSの発達によって個人が自由に情報発信できるようになった反面、フェイクニュースや誹謗中傷などの問題も多くなりました。 また、時代とともに日本でも働き方が大きく変わり、終身雇用による安定などはもう過去の話となったこと、AIの発達により今まで人間が やっていた仕事が少なくなっていくであろうこと、こうした不安に加えて少子化が進んでいることから、 親が「我が子に失敗させたくない」という思いを抱くのは当然の流れかもしれません。

しかし、その不安から過干渉に陥ってしまっている親が増えてきていることもまた問題となっています。 安全なレールを敷き、進路も親が決め、失敗しないように生きてきた子が、果たして今の不安な世の中を逞しく生きていけるでしょうか。

ちょっとした失敗や挫折で意欲を失ってしまったり、目標に向けてがんばれず、やりたいこともなく、仕事が続けられなくなったり、ひきこもり、 うつ、自暴自棄などに陥ってしまうかもしれません。もしそこで逆境やストレスに対抗する力がなかったとしたら、それまでどれだけ順風満帆のように見えても、 いつか悲劇を生んでしまうことにもなりかねません。

大切なのは、どんな状況になったとしても「自ら考え問題を解決できる力」や「他者を思いやり他者と協力していける力」なのではないでしょうか。 これらは「総合的な人間力」や「生きる力」とも言え、学力やテストでは測れない力であり、目に見えない「心」が土台となると思っています。 道場で最も育成していきたいものがこの「心」なのです。

〇〇教育というネーミングを見ただけでは、世代によっては強制的なイメージが湧くかもしれません。 ここで言う教育というのは、決して強制したり義務感で行うものではなく、なぜ大切なのか時間をかけて 「教え育てていく」という本来の教育を指すものです。

態度教育は躾(しつけ)とも捉えられますが、簡単に言うと、あいさつ、返事、靴並べなど、 礼儀や整理整頓することの大切さを教えていきます。徹底することで心を整え、 前向きな姿勢や思いやりの気持ちを育んでいきます。道徳教育は、その時々で何が正しいのか、 相手はどう思うかなどを考えてもらいながら、文字通り「道」と「徳」について教えていきます。 この2つには明確な線引きはなく、どちらも相乗的なものであると思っています。

自分さえ良ければ良いという利己的な考えでは周りの人とうまくやっていくことはできません。 迷惑さえかけなければ何をやってもいいという考え方も一理あると思いますが、 迷惑をかけていないと思い込んでいるだけだったり、自由の意味を履き違えていることも多いと思います。

また、強制したところで、心のない挨拶や返事などをしていては、却って失礼になるばかりか、 やっていることと思っていること(心)が違うので歪んだ心を育ててしまいます。 先生の前だけ良いことをして、陰で違うことをする、ということにもなりかねません。 心から思うからこそ、その行動に意味があります。

簡単なことではありませんが、自ら気付き、考える機会をたくさん与えていくことが「教え育てる」ことだと思っています。

非認知能力とは、1960年代にシカゴ大学のジェームス・ヘックマン教授の調査により注目されるようになったもので、 学力やIQといった数値では測れない能力全般のことを指します。

具体的には自己肯定感、やり抜く力、自己認識力、自制心、忍耐力、勤勉性、誠実さ、協調性、責任感、リーダーシップ、 コミュニケーション力、レジリエンス(回復力)、自主性、利他性、好奇心、創造力、想像力…など数多くの数値化しにくい能力のことになります。

難しく聞こえるかもしれませんが、自信をつける、最後まであきらめない、がまんできる、ルールを守る、思いやりがある、チャレンジできる、工夫できる、見方を変えられる、仲間と協力できる、など、昔から必要とされてきた力のことなのです。武蔵道場で育んでいきたい「心」というのは、言い換えると非認知能力のことであると考えています。

これらは「問題を解決する力」や「他者と協力できる力」の土台となり、道場が目標としている「総合的な人間力」「生きる力」を育むことにつながります。心の育成は非認知能力の育成とも言えるのです。

どうすれば健全な心を育成し、いわゆる非認知能力を伸ばすことができるのか、 ということに関しては、それこそ数値化しにくいものであり、受験テスト対策のように「こうすればできる受験テクニック!」のようなものはないと思っています。

人間はそんな単純なものではありません。やりたいようにやらせるのが良い、褒めるのが良い、と聞いたからと言って、 何も考えずにあれこれ飛びついていては流行りのダイエット法を次々と試していることと変わらないでしょう。 人を育てるのに小手先のテクニックなどは通用しないのです。

では、どうしたらいいのでしょうか。重要なカギとなるのは子どもと関わる人(大人)です。 子どもと関わる人が子どもとどう接するか、どんな声かけをするか、どういう考えを持ち、 どんな行動や言動をとり(あるいはしないで)、様々な能力を育む機会を与えられるか、に尽きると思っています。

そのため、指導者や先生がどんな考え方をしているかはとても重要になります。 子どもは大人に信頼してほしいし、信頼したいと思っています。 子どもの未来や成長のことを考えられることはもちろんですが、持論や一方的な思いだけでは上手くいきません。

やはり、相手のこと(子ども)を知るためにも指導者は常に学ばなくてはいけないと思っています。 ここでは道場で心掛けていることをいくつか紹介したいと思います。

●子どもの話をしっかり聞く
聞く力がある子はいろいろな能力が伸びます。そのためにも押し付けではなく、まずは子どもの話をしっかり聞いてあげることも必要です。そしてどちらかが一方的に話すのではなく、互いに応答できることが大切だと思います。たくさん聞いてもらった子は聞けるようになり、多くの人の言葉に耳を傾けることができれば学力や技術だけでなく人間性も育っていきます。

●褒めるより認める
何でもかんでも褒めていては、褒められるために行動するようになってしまうかもしれません。子どもがやろうとしていること、言おうとしていることの「背景」を理解するように努め、結果に対してではなく、過程や努力を見逃さないようにします。認めることで自己肯定感が育ち、失敗を恐れず挑戦する力、やり抜く力、立ち直る力にもつながっていきます。

●むやみにアドバイスしない
過干渉になると自分で考えて成長する機会を奪ってしまうことになります。簡単に答えを教えるのではなく、自分で考える時間や機会を保証してあげることを心掛けています。もちろん、できないことに関してはサポートします。自分は何ができて何ができないかを考え、できないことは他の人に協力やサポートをお願いできるように、自分で問題を解決する力、自己分析力、コミュニケーション力などを育む機会を見つけていきます。

●自分で選ぶ機会を与える
たとえば宿題をやる時間など、自分で選んで決められることはたくさんあります。自分で選ぶことで自発性、意欲、責任感などを養うことにもつながり、ストレスへの対処力、問題解決力のベースになっていきます。仲間と一緒にやるものについては自分だけの考えで決めてしまうのではなく、話し合って折り合いをつけていけることも大切です。

●たくさん経験する機会を与える
何かに集中して没頭すること、たくさん褒められること、成功すること、うまくいかないことなど、経験はすべて成長の糧ととらえ、できるだけいろいろな経験ができると良いと思っています。失敗やうまくいかない経験も、ストレスを柔軟に受け止めたり対処していくための土台となっていきます。

●仲間との体験活動を応援する
コミュニケーションをとり、仲間と協力しながら何かに挑戦したり没頭したりすることを応援します。ここでも成功や失敗の経験をすることで、協力することや思いやること、仲間の大切さに気付いたり、自分には仲間がいるという安心感につながり、ストレスへの抵抗力にもなります。

道場ではこういった考えの元に指導者として子どもたちと関わりたいと思っています。そして、何より子どもと一番関わるのは言うまでもなく保護者の方々です。是非このような考えにもご理解いただき、一緒に子どもたちをサポートしていただけたら嬉しいです。

道場で掲げている心の育成の柱としているのは、コリアン武道であるテコンドーの5大精神と、日本古来の武士道の7つの徳です。

実はこの2つには共通している部分が多くあります。テコンドーの創始者は、論語で有名な孔子(儒教)の考え方に強く影響を受けていました。 そして、日本の武士道もまた同様に影響を受けているのです。

論語が日本でもこれほど親しまれ、子どもから大人まで今でも重要な教えとされているのも頷けます。 孔子が儒教で説いている5つの徳目(仁、義、礼、智、信)は、テコンドー精神にも武士道精神にも受け継がれていることが伺えます。

ここでは簡単ではありますが、それぞれの教え・心得を紹介します。

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いかがでしょうか。これまで挙げてきた育成していきたい心がここにあります(子どもたちには分かりやすい表現で少しずつ伝えていきます)。これらの精神を心の軸として、生きる力の原動力にしてもらいたいという願いがあります。温故知新(古きをたずねて新しきを知る)と言いますが、道場では大人も子どももこれらの心得を大切にしたいと思っています。



心の育成は、これでOKという絶対的な方法はなく、子ども一人ひとり違うこと、 同じ人間でも時間と環境が変われば心も変化していくことが前提となるので、指導者は子どもの心理を学び、 常に背景を考える必要があることを痛感しています。

指導者である私自身、これまで失敗ばかりだったかもしれません。 もちろんその時々で熱意をもって指導してきましたし、今でも試行錯誤の連続です。

教育や指導に関する本も何十冊と読みました。もともと人前に出ることは得意ではなく、 芸人さんのように人を笑わせるような話術をもっているわけでもありませんが、 子どもたちには自分に自信をもって強く逞しく生きてもらい、世の中や人の役に立ち、良い未来をつくってもらいたい、という志を強くもっています。

これは、道場の成年部にも言えることで、一人でも多く同じような思いをもってもらえることを願っています。 やはりまず大人がしっかりして社会に貢献していく心を持つことが大切だと思うからです。 そして、子どもにとっては家庭での過ごし方も大切になってきます。

道場で過ごすのは週に数時間ですが、家庭で過ごす時間はその何倍もあります。 子どものために保護者の方にも是非ご理解いただき、できれば一緒にサポートしていただけたら嬉しいです。

私自身3児の親でもあり、共働き世帯でもありました。子育てしながら働く親はとても忙しく、分かっていてもなかなかできない、 という気持ちは痛いほど分かります。 そこを少しでもお手伝いできたらと思っています。難しいこと、分からないことは是非相談しながら、一緒に子どもたちを育てていけるような道場を目指しています。



私はテコンドーを20年以上やってきましたが、そのほとんどを競技者として(黒帯になってからは指導者としても)過ごしてきました。

長年日本代表の選手として世界のトップを目指しながら、地域クラブで指導するという生活をしてきましたが、 私は教えている子どもたちみんなにテコンドーの選手になってほしいと思っているわけではありません。 テコンドーという武道を通して人間的に成長してほしいと思っています。 真剣に取り組む中でいろいろな経験を積んでほしいと思っています。

もちろん、選手をやってきて良かったことや嬉しかったこともたくさんあります。 その反面、ケガや挫折、うまくいかない、くやしい、つらい思いもたくさんしてきました。 それは単に選手としてだけではなく、指導者としても、自分や周りの人の人生も含めてのことです。

しかし、そういった「逆境」を乗り越えてこられたのは、私にテコンドーを通して1つ「心の軸」 ができたからだと思っています。長い年月をかけて武道として向き合ってきたことでそれが1つの「道」となったのかもしれません。

そして周囲の人の支えの大切さに気付き、感謝の心を持つことができ、自分だけでなく人のためにがんばりたい、と思えるようになりました。

道場の1番の目的は、テコンドーという武道を通じて「生きる力」を育成したいということです。そのために「心」が1番大切な土台になると思っています。


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